道を教える。

道を知らない人に案内を書くというアクティビティに取り組みました。

やってみると分かるのですが、グループみんなでそれぞれ書いた道案内について振り返ってみると、同じスタート地点、同じゴールを設定していて、そしてルートも同じ最短ルートを選択していたのに随分内容が違います。

途中の目印をとても詳細に列挙した案内を書いた人。
とてもシンプルに方向と距離だけを指示した道案内を書いた人(私はこっち)。

使う道もたどり着くゴールも同じなのにみんなそれぞれ違う言葉を使っていて、それぞれにその人の教え方の違いが反映されていると思います。

ゴールへの道のりを味わって楽しんで歩いて欲しかった。
出来るだけ簡単でシンプルな指示が理解しやすいと思った。
出来るだけ詳細でディテールが多い指示の方が迷わないと思った。

等々、人それぞれに色々なアイデアがありました。

この「道案内をする」という行為と「教える」という行為はとても似ています。というか道を教えるというのはそのものですが。。。

道案内をしたり、何かを(ここではアレクサンダー・テクニーク)教える時に大切なことは何だろうと皆でディスカッションしました。

私が特に考えたのは以下2点。

1.どんな生徒に教えるのか
「詳細な説明」を求める人もいれば、出来るだけ簡潔、シンプルな方向だけを求める人もいると思います。
それに、その生徒が継続して学んでいる人なのか、一度限りのレッスンに参加している人なのか、初心者なのか上級者なのか、いろいろな条件によって変わってくるでしょう。
教えるという行為に関しては基本的かつ一般的なことですが、生徒のことを良く理解することが大切だと思います。

2.自分はどんな風にアレクサンダー・テクニークを教えたいのか
「わかりやすくスムーズなレッスン」が最良のレッスンなのでしょうか。
実は私は必ずしもそうではないと思っています。これは英語の勉強を長く教えていて気づいたことですが、実は勉強の途中で「誤解」したり「躓き」を経験することが、その後の学習のヒントになるということが本当にとても多いのです。
一見すると遠回りな学びや誤解が多かったレッスンは損しているように見えますが(そして、もちろん有限な時間とお金をかけて学ぶということを考えたらこれはある意味ではその通りなのですが)遠回りして学習した人は、最短ルートで速やかに上達した人が経験しなかった色々なことを学んでいます。
そして、これは私はもっと自信を持っていえるのですが遠回りや失敗をたくさん経験している人の方が「教える」ことはずっと上手になるのです。スムーズに上達してしまった人は、誤解や躓きに生徒が遭遇したときにどう対処していいのか分からないことが多いのですね。

こう考えると、多少山あり谷ありなレッスンというのもとても大きな実りがあるように私には思えます。
すると
「わかりやすく」するためにシンプルな案内をするのか、詳細な案内をするのか
という視点ばかりではなくて、そもそもわかりやすいことが最良なのかという点も考えるべきことに思えてきます。
もちろん、生徒がどんなレッスンを望んでいるのかといのは忘れてはいけないと思いますが。

教えるという行為については正解はなく、だからこそ難しいのですが、その一方で面白いのだと思います。
私が教えるというのはずいぶん先のことになってしまうはずですが、自分がどんなレッスンをできるのか、どんな生徒さんと会えるのかを考えると早くもちょっと楽しみ(もちろん恐いもありますが。。)になってきました!

それに、教えることを考える中で自分が学ぶ姿勢にも影響があると思います。次のレッスンも楽しみになりました。

というわけで引き続き修行中です。

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