本当は楽しい(?)練習のハナシ_後半

前回は私がアレクサンダーを学び始めた頃の体験をご紹介しました(^_^)

「練習が嫌いなら、どうして練習しているの?そんなに練習しているんだから君は練習が好きなのかと思ったけど?」

という先生の問いかけを受けた当時の私の答えは
「私は音楽が大好きです。音楽には練習が必要ですから、練習が面倒くさいとか、嫌いということがあってもやっぱり練習はしなきゃいけないんです」
というもの。

今振り返ると自分でも分かることですが、不合理な「思い込み」がこの答えには入り込んでいます。

「音楽に練習が必要」
というのは、これは恐らく本当でしょう。練習が不要な楽器というのは思いつきません。

気をつけたいのは「練習が面倒くさいとか、嫌いということがあっても」という文言。

・音楽が好き
・音楽には練習が必要
という事実と
・練習が面倒くさい
・練習が嫌い
という自分の感情はセットになりうるものですが、ここに因果関係はありません。

「音楽が大好きで、いつも必要な練習をしている。だから練習が楽しくて、私は練習が大好き」
と考えたってなにもおかしくないのです。

やや乱暴な言い方をすれば練習が好きでも嫌いでも、必要なことを必要なだけ行えばちゃんと結果は導かれるはずです。

けれど、当時の私はどうしてもそう考えることができませんでした。

「練習が好き」なのは甘い練習をしているからだと、当時の私は何故か心から信じきっていたのです。。練習が嫌いになるくらい苦しい練習をしなくては努力が足らないのだと本気で思っていたのです。

なんだか変な思い込みだと自分でも思いますが、これが私の「思考の習慣」でした。

練習を一生懸命することで、結果的に苦しい体験をすることは少なからずあるでしょう。けれどこれは
「苦しい」=「一生懸命」
「楽しい」=「甘え」
ということではありません。

いつの間にか私の中には、「一生懸命」と「苦しい」が絶対のセットと思い込む習慣が育っていたのでした…。

ちなみに今の私はいつも「楽しむ」ことを自分に許しながら練習をしています。もちろん練習が「苦しい」と感じることもありますが、これだってOK。

楽しいことも苦しいこともあるはずで、唯一暴力的で有害な思考になりうるのは
「苦しまなくてはいけない」
という思い込みだけです。

さていつの間にか身についた私の思考の習慣について長々と書いてしまいましたが、皆さんの音楽生活はいかがでしょうか。

一生懸命、真面目に練習するうちに、いつの間にか「苦しむ」ことこそ努力だという思い込みに陥っていませんか?

楽しく元気に、苦しまずに楽器を練習することを、時々自分に改めて許してあげてみてください(^_^)

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