石の中の天使

トミー先生のレッスンでのこと。

生徒さんの身体に手をおいて、ちょうど彫刻を彫るように、その生徒さんの中にあるその人そのものが立ち上がるのを助けるというお話をされていました^_^

彫刻を彫るように、というのはいかにもトミーらしい詩的な表現だと思いますが、「彫刻を彫る」という表現の意味についてはもう少し詳しい背景があって、トミーは「ミケランジェロのように」彫るのだと言います。

ミケランジェロという人は独特な芸術観を持っていました。夏目漱石が夢十夜という短編集でミケランジェロに着想を得たのであろう短編を書いていますが、そこで登場する鎌倉時代の仏師運慶が仁王を彫っていて、彼が彫る仁王は、仁王の目や鼻を作っているのではなくて、初めから木の中に仁王が埋まっていて、それを鑿で掘り出してくるようなものだから、間違いようがないのだという話をします。

これは恐らくミケランジェロの引用なのではないかと思います。ミケランジェロも彫刻家について、石の中には初めから天使がいて、それを見つけ出し、自由にさせてあげるまで彫るのが彫刻家の仕事なのだという、ちょっと気障な言葉を残しています。

トミーが手を使うことについて考えているのも恐らくこれと同じことで、先生の仕事は生徒さんをあるべき姿に導いてあげることではなくて、最初から生徒さんが内に持っていた自分自身を見つけ出すお手伝いをすることなのでしょう。決して押し付けるのではない、ただ生徒さん自身の探求に寄り添うような手の使い方があるのだと思います。

それに加えて、これは訓練生同士で実験して改めて理解できたことですが、手をおかれる生徒さんにもやっぱり明らかなお仕事があります。

アレクサンダーのワークではしばしば注目される独特のthinkingがあって、生徒さんは自分の頭と脊椎の関係性に働きかけるようなthinkingを持つことが大切だと言われます。

これは確かにその通りで、生徒役の人が自分の中に明確な意図とthinkingを持っている時と持っていない時とでは、同じ先生役の人が手をおいても、起こることがまるで違うのです。

生徒さんの意図が明確であればあるほど、手をおいたときにより生き生きと身体が動き出すことが分かります。

ミケランジェロは石の中の天使といったけど、私達の中にも、私達自身がまだ見つけていない天使がいるのかもしれません。

それを二人三脚で見つけ出すプロセスがアレクサンダーのワークなのだと思います。

教師は押し付けではいけないし、生徒はただ受け身であってはいけない。お互いがお互いを助けることで素晴らしい学びがたくさんあるレッスンになるのだと思います。

またレッスンに臨む姿勢が少しだけ変わりそうです。

今回もお読みいただきありがとうございました!

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