変化は恐れなくて大丈夫です
アレクサンダー・テクニークは変容の技術です。
大仰な言い方に聞こえたり、ひょっとすると胡散臭くきこえたりするかもしれないけれど、アレクサンダーのレッスンを受けた人はやっぱり確実にレッスンを受ける前のその人から決定的に変わります。
その変化の大きさや深さ、ご本人や周囲に受け止め方は様々ですが、その人が必要とする変化が、必要とする大きさで起こるのがアレクサンダーのレッスンです。
立ち方が変わり、歩き方が変わり、話し方が変わりますが、それはその人にとっての自分が立つということ、歩くということ、話すということについての「信念」が変わるということなのです。
勘の良い方はもうお気づきかもしれませんが、実はこの変化をちょっと恐いと感じる人もいます。何を隠そう、私自身がそうでした。
アレクサンダーのワークを受けて見つけるラクさ、開放感はこの上なく楽しいものなのだけれど、それを学び身につけていくほど、「今迄の自分は間違えていたのかな?」と戸惑ったり、もっと言うと
「確かにこういう自分の思考や身体の使い方は楽しいけれど、今迄の俺はどうしたら良いの?何か、レッスンの度に今迄の自分の価値観やアイデンティティーを否定されてるみたいな気がしてきたぞ??」
と時には不安を感じることさえありました。
今の自分を変えたい!
もっと新しい自分を探求してみたい!
という動機からワークを学び始めたのに、気がついたら
「でも今迄の自分も悪くなかったじゃん」
という考えが頭の中に渦巻いていたのです。何か、矛盾している。ちょっと天邪鬼ですね(^◇^;)
これじゃあまるで、「アレクサンダー的人間」にされるみたいじゃん?
という戸惑いさえありつつ、でもこのワークを教えられるようになりたいという気持ちもあってグルグルしていた自分の気持ちを、来日しているトミー先生に思い切って質問したらとても素敵な答えをもらえました。
アレクサンダーのワークを通じて自分が変わるというのは、それ以前の自分を否定するということではない。
それをしようとしてしまうと以前の自分への執着はとても強くなってしまって苦しいことにもなる。
アレクサンダーを学んでいなかった時でも、自分には何の問題もなかったはず。
「でも、何かが足りない」
何かを学びたいという思いがあったからアレクサンダーのワークに辿り着いたはず。変化する前の自分こそが、このワークに導いてくれた。
「新しい自分」は「古い自分」を否定したり脅かすものではないし、「古い自分」は切り捨てるべき悪者ではない。本当のところ、ワークを学ぶ前の自分を追い出す必要はなくて、新しい学びにはいつだって「古い自分」を招待することができるんだという答えをトミー先生はくださいました。
(わたしの受け止め方なので、ちょっと言葉やニュアンスは違うかもしれません)
このことを理解する例え話もトミー先生が聞かせてくれました。
トミー先生がある時ふと、自分が歳をとったことに気がついて、もう若い頃のような野心や情熱がなくなっていると思った時に、急に悲しい気持ちに襲われたそうです。
けれどその時、今の自分はあの若くて無鉄砲だった頃の自分の素晴らしい師匠になれるはず。それに、あの若い頃の自分は今でも自分にとっての最高の師匠なんだということに気がついたらとても幸せな気持ちになったというエピソードを聞かせてもらえました。
「昔の自分」も「今の自分」も同じくらいに素晴らしいものを持っていてくれる。だからどちらかを目指したり、どちらかを否定する必要なんてない。
私たちはいつでも変わり続けています。けれど、変わることで何かを新しく得ることに喜んだり、何かを失うことを悲しんだりする必要はないのかもしれません。
変わる前も変わった後も、本当は私は最初からずっと私だったはず。どんな変化を経ても、いつもずっと完璧だったのです。それはアレクサンダーのようなとても大きな変化を経る時も同じこと。
変わることで何も失うことなんてないのだと気づいたらとても平和な気持ちになれました。
Thank you Tommy^_^
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