感覚評価はあてにならない〜①

アレクサンダー氏本人の著作でも触れられている重要な考え方の一つに
「感覚評価はあてにならない」
というものがあります。

これはアレクサンダーのワークを学ぶ上で非常に大切な考え方なのですが、混乱させられる人も多いようです。今回はこれについて考えてみましょう。

まず、一般にスポーツやパフォーマンスを修得する時、多くの人は感覚を「動きのガイド」に使っていると思います。

ボールを狙い通りの距離に、より望ましいスピードで投げられた時や、楽器であればなかなか出せなかった高音域の音が出せた時など、その場面その場面の身体の感覚を覚えておいて、その感覚を頼りに、感覚を再現するようにして動きを再現して、それを毎回再現できるようにする。

というのが多くの人が考える一般的な「練習」のイメージではないでしょうか。

実は、私自身はこのアプローチもそれなりに有効であると思っています。実際、こういう風に「感覚を頼りに」して動きをマスターしていく方法でかなりの技量を獲得できる人も世の中にはいるからです。

けれど、アレクサンダー氏によれば、本当に新しい、洗練された身体の使い方を獲得するには、やはり「感覚頼み」ではダメなのです。

これにはいくつかの理由があります。

まず第一に、現代人の身体感覚は著しく「堕落」しているというアレクサンダー氏の分析があります。

彼の生きた19世紀〜20世紀の前半でさえ、人類は車に乗り出したり、椅子に座りっぱなしの生活を送り出したり、文明の急激な進歩で生活様式は劇的に変わっていきました。

そういった生活レベルの変化に人間の身体は追い付けておらず、端的に言って現代文明の利器に頼り切っているうちに、自然の中で培われていた人間の身体感覚はすっかり損なわれているので、もはや動きのガイドにはならないというのです。スマホやタブレット、パソコンやテレビの刺激に晒され続けている現代人の感覚がより劣化しているということも想像に難くありませんね。

これには異論の余地もあるでしょう。少なくとも、さらに文明が自然の生活を遠ざけてしまった現代でも、驚異的な身体感覚を備えているスポーツ選手やパフォーマーは現実に存在します。私自身もこの意見には疑問を持っています。

より本質的と思われるもう一つの理由は、身体感覚が原理的に過去からの情報だという事実です。

しばしば錯覚される点ですが、私達は身体の運動に対して、その動きのインパクトを「感覚」として受け取っています。

つまり
身体の運動→感覚のフィードバック
という時間的な順序があります。

特定の動きを行なった結果、特定の感覚が得られるのであって、特定の感覚に従った結果、特定の動きが行えるという順序ではないのです。

この点に注目すると、感覚評価はあてにならないという言葉の意味が実感しやすいと思います。時間的に動きの後に現れる感覚の体験を、動きのガイドに使うことは本来できないはずなのです。

長くなるので、続きは次回に^_^

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